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中田英寿の努力論

Youtube中田英寿さんと茂木健一郎さんの対談を見た。その中で中田さんが仰っていた「努力」に対する考え方が非常に面白いと感じたので、紹介させて貰う。

 

私が面白いなと思った点を端的に言えば、

 

「自分が楽しいと思うことに対して努力をする。」

 

という点だ。私の中で努力というのは、「興味のないことでも我慢して能力の向上を目指すこと」だったので、自分の中での努力の意味合いにパラダイムチェンジが起こった。

 

私たちは「努力」という言葉に「(本当は気乗りしないけれど)我慢して行う。」という意味を含んでしまいがちだ。と言うか、殆どの人が「努力=我慢」という図式を思い浮かべるのではないか。

 

私も受験勉強は我慢しながらしたし、学生時代の英語の勉強も(正直に言って)、就職のために嫌々やった。会社に入社した後もオフィスソフトの使い方や仕事で覚えなければいけない知識も、義務的に覚えてたという感想だ。

 

(皆さんも何かしらの「努力」をされていると思うが、その時に心に抱いていた感情はどのようなものだったでしょうか?)

 

中田さんの考え方は私のそれとは異なり、「好きだと思うから、もっと上手くなりたいと思うから、だから(楽しみながら)努力をする。」というものだそうだ。好きな事をやるわけですから、そこに「我慢」という概念はないようだ。

 

映像の中で中田さんは「サッカーは遊びでやっていた。」と仰っていた。さらに、好きだからこそ「真剣に遊んでいた。」と言っていた。その結果、プロになることができて、イタリアにも行くことができたと話していた。(楽しんでいたけれど、そこには真剣さがあったとのことだ。)

 

この話から、私たちは何を教訓とすることができるのだろうか。

それは「好きな事をする」というのが「努力」を第一歩だということだ。

 

中田さんの理論から考えると、「努力」をする人間になるためには、「自分の好きな事をする」というのが第一歩になる。「自分の好きな事に対して → 努力をする」という順番だから、嫌いな事をしている時点で中田さんが定義する「努力」をすることはできない。

 

先ほど、私自身を例に挙げたように「好きではないことを義務的に行う」という時点で私の心には「我慢する」という概念が生まれてしまう。その時点で「真剣に遊ぶ・楽しむ」という考えとのズレが生じてしまう。

 

今回の文脈に沿って言えば、「努力ができない人」は、「好きな事をしていない人」なのかもしれない。だから、あまり自分を責める必要はないのかもしれない。むしろ、努力ができていない自分に対して嫌悪感を抱いているのなら、まずは自分の好きな事をしてみると良いのかもしれませんね。

 

最終的にまとめると「嫌いなことを我慢してする」のではなく、「好きな事を楽しんで真剣にする」ことが、今回の中田さんの「努力」の定義だった。

 

 

中田さんの「努力」についての話から、私が考えたことは以上である。

前を向くということ=明るい未来をイメージする力

イチローの記事がNumberに出ていました。

 

そこで印象に残ったのが「前向き」という言葉でした。「後ろ向きに生きる人間には見えない世界がある。」というイチローの言葉にハッとさせられました。

 

「前向き」という言葉をもう一度自分の中で噛み砕いてみました。前向きとは前(未来)を向く姿勢を持ち合わせていることだと思います。

 

過去に囚われず、また未来に対してもネガティブなイメージを持たずに、前を見ること(明るい未来を見ること)が「前向き」ということでしょう。

 

様々な困難や不運が私たちの前に立ちはだかったとき、それを嫌だと後ろ向きに考えるのか、あるいは良い機会だと考えてポジティブに考えることができるのかが、結局は人生を決めることになるのだと思います。

 

イチローの優れている部分は、その明るい未来をイメージできる脳の強さ、前向きな想像力にあるのだと私は思いました。自分の持つ明るいイメージを現実にするために様々な努力をストイックにこなすことができたのだと思います。

 

日常のあらゆる外部刺激に対して、どのように反応するかをよくよく考えたいと思います。

 

ちょっと意識的に努力をして、前向きな捉え方をできる思考方法を習慣化したいと思いました。

偉人は長時間労働だった?

突然だが、私はB'zが好きだ。そして、B'zのとある曲に「歩き続けた先に見たいのは、想像を超える風と光、そこに誰も居なくても。」という歌詞があるのだが、私はそこで疑問に思った。

誰も見たことのない風景を見るためには、どれくらい遠くまで歩けば良いのか。

早速ではあるが、サラリーマンとして、それを仕事に置き換えて考えてた。

とある本によれば、エジソンは年間6500時間、キューリー夫人は年間5000時間、本田宗一郎氏は年間5500時間、稲盛和夫氏は年間5000時間、仕事に没頭していたとされている。

※(ランチェスター経営7つの成功戦略 竹田陽一著 より) 

 

ただ、年間6000時間と5000時間などと言われてもピンとこなかった。そのため、もう少し分かりやすいように噛み砕いて、2つのケース(6000/5000H)について、確認したい。

 

①年間労働日数を241日(年間会社休日を124日とする)とした場合、1日の労働時間は以下の通りになる。

6000時間=24.8H/1日

5000時間=20.7H1日

年間会社休日を124日、つまり土日と祝日、長期休暇をすべて休んでいると、年間労働時間はどんなに頑張っても6000時間には達しないことが分かる。5000時間の場合も達成は非常に難しいことが分かった。(毎日3時間睡眠なら可能かもしれない。)

 

②次は極端に365日すべて労働とした場合、1日の労働時間は以下の通りにった。

6000時間=16.4H/1日

5000時間=13.6H/1日

 

これなら1日あたりの労働時間はギリギリ達成できそうである。しかし、6000時間の場合は仕事と寝るだけの生活になるだろう。

 

③次に週休1日というハードワーカーにとって現実的(?)なラインを引いてみた。313日(毎週日曜休み)を労働日数にした場合、1日の労働時間は以下の通りになる。

6000時間=19.2H/1日

5000時間=16.0H/1日

 

6000時間は週1日休みでも無理だ。これを見るとエジソンは365日、研究に没頭していたことが分かる。5000時間については、ギリギリ達成できそうな気がする。しかし、これを数十年続けるというのは、かなりのハードワーカーであることは間違いない。

 

以上の分析から、偉業を成し遂げた人物は例外なく尋常ではないコミットメントをしていたことが分かった。せめて労働時間・没頭する時間だけでも追いつけるように私も頑張りたい。

ARIGATO

ARIGATO